恩田陸『夜のピクニック』感想|青春は振返って初めて青春になる

※引用はすべて新潮文庫による

目次

あらすじと感想

 高校生活最後を飾るイベント「歩行祭」。
 それは全校生徒が夜を徹して80キロ歩き通すという、北高の伝統行事だった。
 甲田貴子は密かな誓いを胸に抱いて、歩行祭にのぞんだ。
 三年間、誰にも言えなかった秘密を清算するために――。
 学校生活の思い出や卒業後の夢など語らいつつ、親友たちと歩きながらも、貴子だけは、小さな賭けに胸を焦がしていた。
 本屋大賞を受賞した永遠の青春小説。
 (裏表紙)

 

 

 みんなで、夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう
 (414頁)

 

 恩田陸『夜のピクニック』は高校生が夜歩くだけの小説だ。
 殺人事件も超常現象も大事件もそこには起こらない。
 ただひたすら歩くだけ。そんな物語だ。

 

 でも『夜のピクニック』は面白い。
 文句なしに面白い小説だ。それは断言できる。

 

 夜間歩行という青春の象徴を、作中の彼らは大事に経験していく。
 歩いて、話して、考えたり、離れたり。

 

KKc
『夜のピクニック』の面白いところは、たくさんの伏線があるところだと思う。

 

  • 甲田貴子の小さな賭け、また賭けに勝ったらしなければならないこととは?
  • 榊杏奈がラブレターを出した相手とは、そして歩行祭にかけた「おまじない」とは?
  • 古川悦子が探している「犯人」は誰?
  • 戸田忍が一緒に歩いていた女の子は誰か?
  • 榊順弥が探している人物とは?
  • 志賀清隆と遊佐美和子の交際について
  • 高見光一郎が開催する「パーティー」の詳細
  • 去年の歩行祭に紛れ込んでいた誰も知らない一人の生徒とは?
  • 内堀亮子の誕生日プレゼントは何か?

 

 これらの伏線が歩行祭が進むにつれ回収されていく。
 ときにそれは公にされない。

 

 だから、内緒よ。
 (330頁)

 

 「暗黙の共犯関係」がしばしば作られるのも、『夜のピクニック』の面白いところだ。

 

 空いた時間にかしこくお小遣い稼ぎ!

 

名言

 

 「ただいま乳酸大量製造中!」
 (15頁)

 

 近くにいなければ、忘れられる。
 忘れられれば、存在しないのと同じだ。
 (50頁)

 

 俺、忍んでる?
 (60頁)

 

 「なんでダイちゃんなの?」
 「パラダイスの略」
 (114頁)

 

 ありがとう。幸せですか?
 (134頁)

 

 雑音だって、おまえを作ってるんだよ。
 雑音はうるさいけど、やっぱ聞いておかなきゃなんない時だってあるんだよ。
 (189頁)

 

 やっぱり、こいつと最後まで行きたいなあ。
 (292頁)

 

 これからどれだけ「一生に一度」を繰り返していくのだろう。
 いったいどれだけ、二度と会うことのない人に会うのだろう。
 (354頁)

 

 「朝なのに、ゾンビが復活した。そのうち灰になるぞ」
 (409頁)

 

 何かの終わりは、いつだって何かの始まりなのだ。
 (442頁)

 

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【読書感想文】原稿用紙3枚(1200字,60行)

KKc
『夜のピクニック』の面白さの秘密

 

 <みんなで、夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう>

 

 『夜のピクニック』の中にこんな一節があります。私もほんとうにそう思います。ただ歩いているだけの小説なのに、そうしてこんなにこの物語はこんなに魅力的なんだろう、と。『夜のピクニック』は高校の歩行祭が舞台です。だから私は「歩く」というところにこの作品の面白さの秘密があるのでは、と思いました。

 

 さて話が変わります。最近気づいたのですが、移動中というのは、私にとっていちばん合っている勉強・読書環境だと思いました。電車に乗って本を読んだり、バスに乗って英語のリスニングCDを聴いたりすると、内容がふだんよりずっと頭に残るというか、理解が深くなります。「これは!」というようなことを閃いたりもします。なぜでしょうか。

 

 この話を友人に興奮ぎみにしたところ、それは「三上」だからだよ、と教えてもらいました。よくわからないので辞書を引きました。「三上」は「さんじょう」と読み、欧陽脩という人が主張した、ものを考えるうえでおすすめの三つの場所のことです。具体的には「馬上」「枕上」「厠上」がそれに当たるところのようです。簡単に言うと移動中、横になっているとき、トイレタイムが思考のゴールデン・プレイスということです。

 

 移動中というのは昔から頭がよく働く状態になると言われているのです。ということは、このことは私だけではなく、けっこう多くの人にあてはまることだということです。これが『夜のピクニック』が多くの人に読まれている理由のひとつだと思いました。

 

 たぶんこの小説を読んでいるとき私たちは、自分も登場人物たちと一緒に歩いているような気分になるのだと思います。ちなみに、これはきっと読んだ人にしかわからないと思うのですけど、文章はセリフと気持ちに関するものが多くて、「歩いている」とか「進んでいる」という表現は意外と少ないです。作者・恩田陸の技術がすごいため、そのような文字がなくても歩き続けているような気持ちになりながら読むことができるのだと私は思いました。たぶんよほど注意深くなければ、この「魔法」にかかっていることに読者は気づくことはできないだろうと思います。私もずっと、恩田陸の魔法にかかっていることがわからないでいました。

 

 歩行祭で歩いている最中、登場人物たちは決して後を振り返りません。歩くということは後ろを見ながらできることではありません。先へ先へ、という気持ちでいるからです。作品全体にただようそんな雰囲気も、「魔法」の効果の一部なんじゃないかな、と思いました。

(60行,原稿用紙3枚ぴったり)

 

おわりに

KKc
お読みいただきありがとうございました。

 

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